2022/05/21

私と日本共産党の出会い・・・その2

その1から続く


 その後、仕事も軌道に乗り何とか暮らせていました。

そして忘れもしない2020年7月7日。

Mさんから折り入って話があるのでそちらに伺いたいと連絡があり、拙宅に来られました。

印旛地区委員長Kさんとと地区委員会常勤で青学部T君、Mさんが来られ、経緯が省きますが私に日本共産党に入党しないかというお話をされました。

今でもその時の感情は説明できないのですが、私の中でストンと腑に落ちたのです。

その時までの私は好き勝手に生きていました。

そんな中で生活苦寸前に陥り、日本共産党や私の愛するパートナーとその家族に助けられて今がある。

今度は私が誰かを助ける番が来たのだと思いました。

後から聞いたら「あそこまで食い気味に即決した人は見たことがない」と言われましたが(苦笑)、その場で入党しますと伝えました。

そこから私の日本共産党員としての人生が始まりました。



私はこの歳になるまで、何者にもなれませんでした。

高校生くらいまでは小説家になりたくて文章修行みたいなこともしていましたがその夢は叶いませんでした。

高校生からバンドを始めましたが音楽で食べることも出来ませんでした。

その派生でミニコミ誌で音楽評を書いたりもしましたが、ライターにもなれませんでした。

その後はフリーターをしたり20年ほど郵便局員として過ごし、訳あって退職し個人事業主として開業しましたが最初の思惑とは似ても似つかぬ軽貨物ドライバーとして起業でした。

そんな私でも政治を志すことはできました。

そのことによって誰かを救うことができるかもしれません。

そして、傍目にも「負け組」である自分のような人間でも政治に目を向けたり志したりしても良いのだと若い人に思ってもらえたら…

それが私が日本共産党員として活動する意義なのだと思っています。

私と日本共産党の出会い・・・その1

 個人事業主として仕事をしている私が何故に日本共産党員となり、今に至るのかを書きます。

2020年3月末に生まれ育った茨城から千葉県八街市に出てきました。

当時今の某大手通販サイトとは別の会社の下請として軽貨物ドライバーをしていましたが、そことトラブルになり軽貨物なのに車が無い状況・・・つまり仕事が出来ない状態に陥っていました。

次の車の目処はあったのですがそれまでの収入がゼロ状態でそのままでは餓死です。

当時、新型コロナウイルス対策の緊急小口資金制度がありそれを申請するために八街市社会福祉協議会に行きました。

その時の経験が私の今の政策にも反映されていますがそれはまた別の機会に。

社会福祉協議会であの悪名高い「水際対策」をされてその日はすごすごと帰宅する羽目になりました。

帰宅して横になりこのままでは自死するしかないなとボンヤリと考えながらスマホでtwitter画面を見ていました。

その時に日本共産党千葉県委員会の「お困り事がありましたらご相談ください」というtweetが目に留まりました。

これが駄目なら本当に死のうと電話したのです。

そしたらその日のうちに日本共産党八街市議会議員Mさんから連絡があり翌日に彼女と社会福祉協議会に行きました。

最初は社協の態度が変わりませんでしたが、Mさんの根気強い交渉のおかげで無事に緊急小口資金の支給が決まり私は何とか食いつなげて死なずに済みました。


長くなりましたので、次回に続きます。

議会報告会を開催しました

 5月21日。

八街市内にて日本共産党八街市議会議員の議会報告会が開催されました。

今回は写真を撮れずに前回のものですがご容赦を。

参加者の皆さんと熱い議論が展開されました。



2022/05/19

ブログ、始めました



初めまして‼️

日本共産党八街市委員会生活相談室長の「若泉さとし」です。

日々、八街市を良くしていくために議員や日本共産党の仲間たちと活動しています。

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