その1から続く
その後、仕事も軌道に乗り何とか暮らせていました。
そして忘れもしない2020年7月7日。
Mさんから折り入って話があるのでそちらに伺いたいと連絡があり、拙宅に来られました。
印旛地区委員長Kさんとと地区委員会常勤で青学部T君、Mさんが来られ、経緯が省きますが私に日本共産党に入党しないかというお話をされました。
今でもその時の感情は説明できないのですが、私の中でストンと腑に落ちたのです。
その時までの私は好き勝手に生きていました。
そんな中で生活苦寸前に陥り、日本共産党や私の愛するパートナーとその家族に助けられて今がある。
今度は私が誰かを助ける番が来たのだと思いました。
後から聞いたら「あそこまで食い気味に即決した人は見たことがない」と言われましたが(苦笑)、その場で入党しますと伝えました。
そこから私の日本共産党員としての人生が始まりました。
私はこの歳になるまで、何者にもなれませんでした。
高校生くらいまでは小説家になりたくて文章修行みたいなこともしていましたがその夢は叶いませんでした。
高校生からバンドを始めましたが音楽で食べることも出来ませんでした。
その派生でミニコミ誌で音楽評を書いたりもしましたが、ライターにもなれませんでした。
その後はフリーターをしたり20年ほど郵便局員として過ごし、訳あって退職し個人事業主として開業しましたが最初の思惑とは似ても似つかぬ軽貨物ドライバーとして起業でした。
そんな私でも政治を志すことはできました。
そのことによって誰かを救うことができるかもしれません。
そして、傍目にも「負け組」である自分のような人間でも政治に目を向けたり志したりしても良いのだと若い人に思ってもらえたら…
それが私が日本共産党員として活動する意義なのだと思っています。